シンガポールは、昭和初期、日英同盟の終了により英国議会で要塞強化を決定した。
陸路からしか攻略し得ぬマレー半島は、シンガポール島まで距離約1千KM、道路は1本道で
これを「東洋のジブラルタル」と称した。
日本が英国の極東根拠地シンガポールを攻略することは、
ドイツが日本と同盟を結んだ要因の一つであった。
対英海上封鎖による英国本土への補給の遮断を、間接的に日本に求めたのである。
軍港は主力艦隊の収容を可能とし、その海岸要塞は15インチ砲をはじめ多数の要塞砲で防備され、
海正面からのいかなる攻撃も受けつけない戦力を有した。
それ以外の多くは密林に覆われており、大小の河川は250を数えたまさに天然の要塞であった。
◆南方作戦準備◆
昭和16年11月10日
「南方作戦陸海軍中央協定」及び「南方作戦陸海軍航空中央協定」が成立した。
馬来(マレー)方面の陸海軍兵力は以下のとおりである。
陸軍部隊
◆第25軍 司令官 山下奉文中将
参謀長 鈴木宗作中将
近衛師団
第5師団
第18師団
戦車団1(戦車連隊4)
軍直轄砲兵(11大隊)
高射砲(60門)
◆第3飛行集団
集団長 菅原道大中将
海軍部隊
◆南遣艦隊
司令長官 小沢治三郎中将
参謀長 沢田虎夫少将
第7戦隊 重巡5、軽巡3、駆逐15
第3水雷戦隊
第4潜水戦隊
第22航空戦隊
英軍の防衛
英米蘭豪連合地域 最高指揮官 ウェーベル大将
英国極東軍 司令官 ブルックポッパム大将(のちパウナル中将)
マレー軍 司令官 A・Eパーシバル中将
イギリス兵 約 20000名
インド兵 約 37000名
豪州兵 約 15200名
現地義勇兵 約 16800名
計 約 89000名
海軍部隊
英国東方艦隊、東インド艦隊
米国亜細亜艦隊
蘭印艦隊
◆作戦開始時間◆
大東亜戦争は、ハワイ、マレー、フィリピン、香港、グアム等に対する先制攻撃をもって開始するものであり、
ハワイ空襲開始とマレー上陸開始の相互関係については大本営としては特に考慮を要した。
すなわち一方が先行すれば他方の急襲が失敗に終わるおそれがあるのである。
海軍はハワイ攻撃(Z作戦)に絶大の期待をかけ、成功のために奇襲を絶対の条件としたが、
陸軍もマレー作戦(E作戦)の長途渡洋作戦の危険性から奇襲を重視していたのである。
マレー作戦の敵前上陸地点であるコタバル付近とハワイとでは、約6時間半の時差があり、
ハワイの払暁はマレーの夜半にあたった。
以上について、陸海軍は11月10日上記の「東京協定」(連合艦隊と南方軍との協定覚書)を締結し
ハワイ攻撃を絶対優先すべきことを陸海軍双方が確認した。
協定はきわめて友好的に行われ、後年発生したような陸海軍の論争対立は見られなかった。
紀元節・・・・・・・・ 2月11日にシンガポール占領
陸軍記念日・・・・ 3月10日にスマトラ占領
天長節・・・・・・・・ 4月29日に蘭印占領
これが陸軍が密かにたてた攻略予定であった。 マレー作戦 2