フィリピン沖海戦5

  サマール島沖海戦/第1遊撃部隊の戦闘 A

10月25日 0030  栗田艦隊 サンベルナルジノ海峡通過
  0220  栗田長官 西村艦隊のレイテ突入電受信
  0522  西村艦隊全滅の報 志摩艦隊から入電
  0639  「鳥海」「能代」 左90度上空に敵機電探にて確認
  0645  「大和」敵機動部隊発見 方位115度・距離35000M 突如会敵
  0659  「大和」前部主砲発射 続いて「長門」「榛名」砲撃開始
 空母群と水上艦隊との砲撃戦は空前絶後のことであった。
  0703  栗田長官 各戦隊司令官に突撃を命令
  0709  米空母群スコールと煙幕の中に遁走
  0725  「大和」副砲による8分間の射撃によって巡洋艦撃沈 (実際は誤認)
  0730  「鈴谷」 被爆し落伍
  0802  「金剛」追撃中の空母に射撃開始、「筑摩」「利根」続いて攻撃
  0853  「筑摩」魚雷1命中 0902反転落伍
  0855  駆逐艦(ホーエル)撃沈
  0907  空母(ガンビアベイ)火災爆発 沈没
  0911  追激戦闘中止 北方集結を指示
  1005  駆逐艦(ロバーツ)撃沈
  1010  駆逐艦(ジョンストン)撃沈
  1045  陣形を立て直す
  1058  「羽黒」味方機1機(特攻機) 敵空母に向うを望見
  1100  南西方面艦隊より敵空母所在の入電
 再進撃開始 レイテに向う
  1105  空母(セントロー) 特攻機によって沈没
  1120  栗田長官 『レイテ突入』を豊田聯合艦隊長官に打電
  1226  北方反転を下令 レイテ突入断念を決意
 「鳥海」「筑摩」「熊野」「鈴谷」各警戒駆逐艦3 脱落
  1230  「鈴谷」 沈没
  1236  栗田長官 聯合艦隊司令部に
 『レイテ泊地突入を止め、敵機動部隊を求め決戦』を打電
  1257  「大和」 航路0度(真北)に変針 反転
  1313  第1次空襲70機(通算第9次) 以下1706の通算第11次空襲まで連続
  1817  日没 空襲終了
10月26日 0834  「大和」対空射撃開始
 以後1212まで、B24陸上機を含む連続した空襲を受ける
  0850  「能代」魚雷1、直撃弾1 この日の被害担当艦となる
  1113  「能代」沈没
10月28日 2150  栗田艦隊主隊 ブルネイ帰港

 
 米 タフィ第3戦隊との戦闘

 栗田艦隊は、本海戦で正規空母4、重巡1、軽巡1を撃沈したものと判断していた。だが実際には
 「世界一を誇っていた日本海軍の砲術威力は驚くほど失望的な成績しかあげなかった」(秦郁彦教授)のである。

 それは

  @ 正規空母と誤認していたため、我が徹甲弾が爆発せず貫通するだけであった。
  A @により米空母の速力を誤算し、慎重な追撃態勢をとってしまった。
  B 米空母艦隊の逃走が、内まわりに巧妙だった。
  C 護衛艦と艦載機の反撃が巧妙であった。
  D スコールによって視界が悪く、電探の性能不足から目標視認が困難であった。
  E 水雷戦隊が離れた位置にあり、酸素魚雷をもってしても遠距離で追撃しきれなかった。

 この空母群(クリフトン・AF・スプレイグ少将)は、タンカー改造の搭載機約30機の改造空母6隻からなる艦隊で、
 @の正規空母との誤認が、駆逐艦を巡洋艦に見誤り、其々の速力を誤断し、
 追撃戦で速力と方向を過大に見誤ることとなった。

 この戦闘で見逃し易い点は、米護衛駆逐艦の勇戦である。
 駆逐艦3、護衛駆逐艦4の劣勢にも拘わらず、我が戦艦4、重巡6をはじめとする優勢なる日本艦隊に対し
 煙幕を張りながら果敢な肉薄攻撃を敢行、「ホーエル」「ロバーツ」「ジョンストン」の3隻を失うに至ったのである。
 泳いでいる米兵の目に、日本駆逐艦の艦橋から沈みゆく「ジョンストン」に敬礼する士官の姿が見えたという。

  日本軍 米 軍
沈 没 重巡3 護衛空母2 駆逐艦2 護衛駆逐艦1
損 傷 重巡1 護衛空母7
撃 墜   約40機以上
戦 死 約3000名 1130名
負 傷 不明 913名

 謎の反転

 栗田長官と艦隊司令部のレイテ湾突入中止−反転の決意は

  @ 基地航空部隊の協力が得られず、小沢艦隊の牽制効果も含め戦況はまったく不明
  A 米戦艦部隊が栗田艦隊のレイテ突入を予期して迎撃配備をしているのではないか?
  B レイテ突入を敢行しても、上陸後7日目では輸送船団は湾外に脱出しカラではないか?
  C 北方近距離の敵機動部隊を攻撃するほうが効果的ではないか?
  D 輸送船と心中することを潔しとせず、決戦を挑むなら敵機動部隊 という海軍武人の心境
     他に西村艦隊全滅の報が突入決意を鈍らせた、とする意見もある。

 以上の状況判断に基づくものとされるが、
 そのほとんどが不正確な情報による状況の誤判断(結果論として)であった。

 事実は・・・

  @ 基地航空隊は特攻攻撃によって一定の戦果を挙げ、小沢艦隊はハルゼー機動部隊を北方に誘致していた
  A 敵艦隊は戦力的に決して大きなものでなく(戦艦3、巡洋4、駆逐6)、弾薬は欠乏していた
  B 輸送船40隻が在泊中、上陸した米第24師団は浮動の態勢であり我が艦砲によって粉砕された可能性は高い
  C 実際には近距離に敵機動部隊など存在していなかった。

 特にCは、南西方面艦隊からの敵機動部隊情報 『0945‘ヤキ1カ(地点符号)’に敵空母部隊発見』
 に基づくものとされる。
 ところが南西方面艦隊や基地航空部隊に発電の記録もなければ、
 旗艦「大和」以下第1遊撃部隊において受電した記録は残されていない。
  (もっとも電文の記録がないことから、発電と入電の事実がなかったとは言いきれず、
   米軍による偽電とする説もあるが、状況から考え着電そのものはあったと推察される。)

 考えられる公算の高い可能性は・・・
 栗田艦隊を発見した我が航空機が、これを米艦隊と見誤り、その旨情報として捷号作戦部隊に流れたことである。
 つまり栗田中将は
 『自隊を攻撃しようとして、反転北上する皮肉な結果』となったわけである。

 
 「謎の反転」は、各艦隊とその間の不信、情報・索敵能力の不備、混乱、連続する戦闘による疲労、
 等々によって生まれたものである。
 しかしその多くが、「実相を踏まえない、或いは突入成果を誇大視した机上論」によるもの、ではないだろうか。

 
 神風攻撃隊の出撃

  第1次 0740 6機攻撃 護衛空母「サンチー」
護衛空母「スワニー」
1機命中 中破
1機命中 中破
  第2次 1050 5機攻撃 護衛空母「セントロー」
護衛空母「キッカンベイ」
護衛空母「ホワイトプレーンズ」
1機命中 撃沈
至近1機 小破
至近1機 小破
  第3次 1110 15機攻撃 護衛空母「カリニンベイ」
護衛空母「キッカンベイ」
2機命中 中破
至近1機 小破

 
 先遣部隊/潜水部隊の攻撃

 潜水部隊は全12隻、甲・乙・丙の3部隊からなり
 ミンダナオ東方海上 4隻、サマール島東方海上 7隻、ルソン東方海上 1隻がそれぞれ配置されていた。
 10月24日夜 全潜水部隊はサマール島東岸に近接集結、攻撃を開始。
 戦果未確認のまま半数の6隻が未帰還となって作戦を終えた。

 
 概 括

 捷一号作戦は我が期待に反し不成功に終わった。
 そして比島沖海戦は、栗田艦隊がレイテ突入を断念した時点で事実上終止符を打った。
 しかし栗田長官から報じられた戦果は顕著であった。(大本営発表:撃沈 正規空母4、巡洋艦2ほか)

 そのためレイテ突入は成功しなかったがその戦績は当時、高く評価された。
 また栗田艦隊の乗組員にも「敗北感」はなく、少なくとも戦闘に破れて退却したという実感はなかったようである。
 「我々は意気揚々として帰ってきました」(大谷作戦参謀)

 ところが戦後、米軍の状況が明らかにされ、栗田艦隊の戦果が労功相償わないものであった事実とともに、
 もしレイテに突入していれば米攻略部隊に壊滅的打撃を与え得たかもしれなかった、ということが判明するに
 従って栗田艦隊に対する評価は大きく変わった。
 そして栗田長官のとった行動は謎とされ、国の内外に多くの議論を招くに至った。

 たしかに突入できたならそうした戦果をあげ得たかもしれなかったが、
 批判の多くは「果たして栗田艦隊がレイテ湾に突入できたかどうか」について触れられることは少ない。

 捷一号作戦が失敗し、比島が敵手に委ねるに至った結果、南方資源地帯との海上交通路は遮断され
 連合軍はフィリピン奪回によって我が本土進攻の足場を固めた。
 そして栄光ある聯合艦隊はこの海戦によって事実上壊滅したのであった。

 
第1遊撃部隊/栗田・西村艦隊の被害集計
  沈 没 大 破 中 破 小 破 軽 微
 戦艦  3 武蔵・山城・扶桑   3 大和・長門・金剛 1 榛名  
 重巡  6 愛宕・摩耶・鳥海・筑摩・鈴谷・最上 4 高雄・妙高・熊野・利根   1 羽黒  
 軽巡  1 能代   1 矢矧    
 駆逐艦 
 油槽艦  2 日邦丸・巌島丸        


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