海軍捷号作戦/フィリピン沖海戦 (米軍呼称 レイテ湾海戦)

 作戦の背景

昭和19年7月9日サイパン島が陥落。これは「絶対国防圏」の崩壊を意味した。
日本軍は最後の決戦をフィリピン、台湾及び南西諸島(沖縄)、北東方面(千島、樺太)のいずれかの地域に求めることを検討し、大本営は7月18日から3日間にわたり陸海合同研究を実施、乾坤一擲の決戦構想を決定した。 これが7月24日に裁可された「陸海軍爾後の作戦指導大綱」である。
それは「本年(昭和19年)後期 米軍主力の進攻に対し決戦を指導しその企図を破摧」するため「決戦の時期を概ね8月以降と予期」し、「空海陸の戦力を極度に集中し敵空母及び輸送船を必殺すると共に(中略)空海協力の下に予め待機せる反撃部隊を以って極力敵を反撃す」というもので、「捷号作戦」と呼称された。   「捷」=戦いに勝つの意

作戦区分 予期決戦海面
捷一号作戦 比島方面
捷二号作戦 九州南部、南西諸島及び台湾方面
捷三号作戦 本州、四国、九州方面及び小笠原諸島方面
捷四号作戦 北海道方面

捷号作戦は予想される決戦区域によって上記4つに区分され、大本営はこのいずれに敵が来攻しても陸海空戦力を総結集して起死回生の決戦を行うよう計画した。

本作戦は実施上特に陸海軍の航空戦力を統一運用することが必要であった。しかし聯合艦隊の航空部隊は、「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)で参加600機の約2/3にあたる395機喪失という壊滅的打撃を受けており、本格的な再建は19年後半に予想される米軍進攻には間に合わなかった。 捷号作戦準備として、陸軍から第2、第4飛行師団が満州から逐次進出、海軍基地航空部隊としては第1航空艦隊が比島に展開しており決戦予想時までに整備し得る兵力は、海軍1300機、陸軍1700機の計約3000機と見込まれた。だが練度は低く連合軍対日正面兵力の1/3に過ぎなかった。

シブヤン海海空戦  スリガオ海峡夜戦  エンガノ岬沖海戦   サマール島沖海戦

広義のフィリピン沖海戦には、第2水雷戦隊(司令官 木村昌福少将)主力によるミンドロ島サンホセ泊地奇襲攻撃「礼号作戦」も含まれるが、本項では割愛する。

 

 聯合艦隊の捷一号作戦要領

 <航空部隊>
 1航艦(第1航空艦隊)及び2航艦の全力を比島に集中。3航艦と12航艦は第2線兵力として内戦に待機。

 <水上部隊>
 第1遊撃部隊(栗田艦隊)はリンガ泊地、
 第2遊撃部隊(志摩艦隊)と機動部隊本隊(小沢艦隊)は内海西部に待機
 敵の来寇を予期したら、第1遊撃部隊はブルネイ方面、他は内海西部か南西諸島方面に進出、
 敵が上陸した場合には、第1遊撃部隊は基地航空部隊の航空撃滅戦に策応し敵の上陸点に突入する。
 機動部隊本隊は、敵を北方に牽制誘致する。

 
  マニラでの作戦打ち合せ

 昭和19年8月10日 作戦実施に先だってマニラにて「捷1号作戦」に関する協議が行われた。
 聯合艦隊、軍令部の各作戦参謀、南西方面艦隊以下の第1南遣艦隊参謀、栗田艦隊司令部参謀などであった。

 小柳 第2艦隊参謀長
 我々は飽くまで敵主力撃滅をもって第1目標となすべきと考えている。
 敵の港湾に突入してまで輸送船団を撃滅しろというなら、それもやりましょう。
 一体、聯合艦隊司令部はこの突入作戦で水上部隊を潰してしまっても構わぬ決心か?

 神 聯合艦隊作戦参謀
 比島を取られたら本土は南方と遮断され、戦争継続は不可能となる。
 どうあっても比島を手放すわけにはいきません。
 この一戦に聯合艦隊をすり潰してもあえて悔いはない。これが聯合艦隊司令長官のご決心です。

 小柳少将
 決心はよくわかった。栗田艦隊は命令どおり輸送船団に向って突進するが、
 途中敵主力部隊と対立し2者いずれかを選ぶべきやに惑う場合には
 輸送船団ではなく敵主力の撃滅に専念するが、差支えないか。

 神大佐
 差し支えありません。

 小柳少将
 これは大事な点であるから、よく(聯合艦隊司令)長官に申し上げておいてくれ。

 このやり取りが持つ意味は重大であった。
 即ち聯合艦隊司令部の「船団撃滅第一主義」と第2艦隊の「艦隊決戦第一主義」の意見対立である。
 のちの栗田艦隊による「謎の反転」の遠因または真因はすでにこの時点で存在していた。

 
  ダバオ誤報事件と台湾沖航空戦

 昭和19年9月9日 ハルゼー大将麾下の機動部隊は、パラオ諸島から一転ダバオを中心にミンダナオを襲った。
 早朝ダバオでは、サランガニ見張所が敵上陸用舟艇接近という誤報を発信、実在しない敵に対して
 捷1号作戦警戒を発令、9月12日になり米機動部隊は再度比島に来襲した。
 その後9月21日以降も空襲は続いた。
 その結果、9月23日現在の1航艦の実働兵力は250機から63機に激減した。
 またこれと協同する陸軍第4航空軍の約200機はほとんど全機を喪失した。
 これによって航空兵力の温存という捷号作戦の前提が相当程度崩れたのである。

 さらに10月10日沖縄、10月12日からは米機動部隊ののべ2700機による大空襲が台湾を襲った。
 このとき我が空軍は、H6号電探装備の海陸協同の精鋭「T攻撃部隊」(指揮官 久野修三大佐)
 を中心とする航空総攻撃を行い膨大な戦果を挙げたとされた。

  <大本営発表 19年10月19日>

  我が方の戦果
  撃沈 : 空母11、戦艦2、ほか4
  撃破 : 空母 8、戦艦2、ほか5、艦種不詳13 その他火焔火柱を認めたもの12
  撃墜 : 112機 基地による撃墜を含まず

  飛行機未帰還  312機

 国民を狂喜させた発表とは裏腹に実際には敵艦艇で撃沈されたものは1隻もなく
 空母1、軽巡2、駆逐2の損傷だけであった。
 我が軍は航空機だけで300機以上を一挙に喪失し、再建途上の決戦兵力を再び失うこととなった。
 さらにパラオ・沖縄・台湾の一連の空襲によって日本軍の航空兵力の損害は
 合計700機以上(米軍資料では1200機以上)にのぼった。

 大本営海軍部は10月16日の索敵でこの大戦果が虚報であることを知った。
 しかし陸軍にも小磯首相にも伝えられることはなかった。
 この結果陸軍は、台湾沖航空戦の戦果に基づき従来のルソン決戦の方針を変更、
 レイテ決戦に踏み切ることとなった。

 
  レイテ来攻と捷一号作戦発動

 昭和19年10月17日 0800すぎレイテ湾入口にあるスルアン島見張所から米軍上陸を報じる緊急電を受けた。
 翌18日 レイテ湾付近の敵状は断片的であった。陸軍は台湾沖航空戦の大勝利を疑っておらず、
 損傷艦艇の一時的侵入か暴風雨(台風期であった)を避難する為であろうと推察された。
 即ち、台湾沖で大打撃を受けた直後に上陸を敢行うるなど考えられなかった。
 しかし聯合艦隊司令部は敵の比島上陸の公算大と判断、「捷一号作戦」を発動した。

 この作戦発動によって直ちに陸海軍航空部隊が比島に進出、上陸船団に対する攻撃が行われる予定であったが
 最初の攻撃は「点滴的」な攻撃であった。
 この立ちあがりの遅さは「あ」号作戦時とも共通するものであり、燃料等に余裕がなく敵状把握が不十分なため
 上陸地点を十分確認してからでないと、全軍を挙げて決戦場に臨むことができなかったからである。

  10月18日 1732 捷1号作戦の発動が全艦隊に下令
  10月20日 0813 豊田長官は決戦要領を発令
  10月21日 1020 敵の攻略企図に関する判断を打電

 第1遊撃部隊(栗田艦隊)の上陸地点突入をX日、機動部隊本隊はX−1乃至X−2日ルソン方面に進出が予定されていた。
 X日は10月25日と決定、基地航空部隊と機動部隊本隊はその前日(24日 Y日)
 敵機動部隊に対し航空総攻撃を実施することに決定した。

 比島沖海戦(海軍捷1号作戦)の最大の目的は第1遊撃部隊によるレイテ湾突入と敵海上・上陸部隊の殲滅にあった。
 その他各部隊の任務は、この第1遊撃部隊突入を直接・間接に支援するという性格を帯びていた。

  @ 栗田艦隊は、戦艦「大和」「武蔵」を主軸とした水上部隊によって、北方からレイテ湾に突入
  A 西村艦隊と志摩艦隊は、各々南方から栗田艦隊と同時にレイテ湾突入
  B 小沢艦隊は、優勢なる敵機動部隊を栗田艦隊からそらすために、囮となって北方へ誘引
  C 基地航空部隊は、以上に先立ち敵空母群を攻撃し、レイテ湾突入艦隊に対する敵航空攻撃を阻止

 
  参加艦艇と主要指揮官

第1遊撃部隊
 (第2艦隊)

司令長官 栗田健男 中将
参謀長  小柳冨次 少将

第1部隊
栗田中将直率
第 1戦隊 戦艦3
第 4戦隊 重巡4
第 5戦隊 重巡2
第 2水戦 軽巡1 駆逐9
第2部隊
鈴木義尾 中将
第 3戦隊 戦艦2
第 7戦隊 重巡4
第10戦隊 軽巡1 駆逐6
第3部隊
西村祥治 中将
主席参謀 安藤憲栄 大佐
第 2戦隊 戦艦2
第4駆逐隊 駆逐4
重巡1
機動部隊
 (第3艦隊)

司令長官 小沢治三郎 中将
参謀長  大林末雄 少将

第3航空戦隊
小沢中将 直率
正規空母1
改装空母3
第4航空戦隊
松田千秋 少将
航空戦艦2
軽巡2
第31戦隊
江戸兵太郎 少将
軽巡1 駆逐8
第2遊撃部隊
 (第5艦隊)

司令長官 志摩清英 中将
参謀長  松本毅 大佐

第21戦隊
志摩中将 直率
重巡2
第1水雷戦隊
木村昌福 中将
軽巡1 駆逐4
先遣部隊(第6艦隊)

第5基地航空部隊(1航艦)

第6基地航空部隊(2航艦)

三輪茂義 中将

大西瀧治郎 中将

福留繁 中将

参加潜水艦12

実働40機

実働223機

 機動部隊の編制には
 実際は第1航空戦隊/第601空 空母「雲龍」、「天城」、「葛城」、「信濃」の
 正規空母4隻が含まれていた。しかし進水直後であり儀装は未完で戦線投入には未だ相当の時間を要した。

 総計  戦艦9 空母4、重巡13 軽巡6 駆逐31 計63隻 母艦搭載機計116機

 
      比島沖海戦2/シブヤン海海空戦 栗田艦隊の戦闘@   


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